7.警備隊副隊長の失策 「かかった?」「覿面だった」「そう。なら楽しみだね」「(自業自得とは言え不憫な…)」
バンと力一杯開かれた扉の所為で、がしゃんと鈴が酷い音を立てた。
「リリィが怪我したって本当か!? 犯人はどこだ、ぶん殴ってやる!!」
物凄い剣幕で叫んだ青年を迎えたのは、憐れむような視線を自分にむける弟と、きょとんとした顔で自分を見返す件の少女。
もちろん無傷だ。
店の客たちもただ沈痛な面持ちで沈黙している(騒がしい店の一角を覗いては)。
ただ、祖父であるマスターだけは常と変わらぬ様子で黙々とグラスを磨いていた。
なんだ?
訝しく思うのを口にするよりも早く、嫌な予感とともに彼の背筋が悪寒に震える。
背後で、『からん』と音を立て、彼が開け放したままだった扉が閉まった。
「やあ」
アルトの涼やかな声が気さくに彼に呼びかける。
恐る恐る振り返ればそこには、にこやかに笑う扉を後ろ手で閉めた上司の姿があった。
「君にしては早かったね」
業務のときもこれくらい早く行動してくれれば助かるんだけどね?
笑みはとても綺麗で、そしてその目付きはかなり冷ややかだ。
「、げ」
顔を引き攣らせる彼に皆まで言わせず、は可愛らしく首を傾げた。
「ちょっと話があるんだ。付き合ってくれるかな? ――もちろん」
断ったりしないよね?
地よりも低い声音に、頷くより他に自分に選択肢があっただろうかと、後に彼は同僚にそう零した。
* * *
「…あの野郎はになにやったんだ?」
ぽつりとそう洩らすと、二人が消えた扉に向って合掌していたレイが頭を掻いた。
「あんたらにここのことを教えたのが一つ。だけど、余罪も大量だから一概にどれがまずかったとは言えないな」
強いて言うなら塵も積もればといったところか。
「…なるほど」
「お、客だ。……もしかして、あんたらの仲間か?」
女二人に目付きの悪い男が一人。
人数的には合っていたので尋ねようと少年が傍らを振り向くと、すでにそこには金髪の青年の姿はなかった。
「ロビンちゃん、ナミさーん!」
その背を見送り呆れて息を吐く少年は、視線を感じてテーブルに顔を戻す。
「飲みもんとってくるわ。ああそうだ、チョッパー。あの三人、酒はいけるくちか?」
「うーん。ゾロは飲むだろうけど、あとの二人はまだ昼だし、お茶かジュースでいいと思う」
わかった。そう答えて踵を返した彼を、チョッパーが引きとめた。
「なあ。がどこに行ったか知ってるか?」
どこか真剣な眼差しに首を傾げながらも、レイは素直に答えを口にする。確証はなかったが心当たりはあった。
「この店の裏にある診療所だろ。うちの親父がやってるし……第一あそこならどんな悲鳴が聞こえても、誰も気にしないからな」
「……」
顔を引き攣らせたトナカイに、少年は乾いた笑みを洩らしながら背を向けた。
「ほ、ひゃひ(お、なみ)」
「…何言ってるかわかんないから、とっととそれ呑み込んじゃいなさい」
何でこんなのが船長なんだろうと、彼とともに海に出てからもはや何度思ったかもしれない自問をする。
自分に構おうとするサンジを軽くいなしていると、呆れの表情を隠しもしない少年が紅茶のカップとビールのジョッキを運んできた。
「いらっしゃい、お姉さん。…苦労するね、いろんな意味で」
「…わかる?」
「ああ。このおにーさんはまだまともだと思ったんだけどな。…より女に甘い奴が居るとは思わなかった」
「え。って、そうなの?」
意外だ。万人に友好的なのなら、イメージ通りだが。
「ああ。そこの兄さんほどあからさまじゃないけど、よーく観察したらわかる。野郎はぞんざいに扱うくせに、女相手だとよほどのことがない限りはとことん甘いから。ただ、本人無自覚な上に、ナチュラルにやるもんだから余計質が悪いんだ」
実際島の女性のほとんどが、を見守る会(つまりファンクラブ)に所属している。
「しかも会長はオトばあだし」
「そうなんだ…」
微妙な笑みを浮かべるしかないナミは、ようやく口の中のものを飲み込んだ船長に呼ばれて顔を向けた。
「ナミ、ロビン、ゾロ!」
嬉しそうな顔に概視感を覚えるのは何故なのか。
酒を飲み干したばかりのゾロは露骨に顔を顰め、紅茶から口を離したロビンは首をかしげ。
紅茶を口に運びながらナミは嫌な予感に眉を顰める。
「も仲間にするぞ!」
お行儀悪く紅茶を吐きそうになり慌てて口を噤んだのが悪かったのだろう、気管に入って激しくナミはむせた。
「は?」
「あら」
唐突な宣言に、ゾロはまた何を言い出すのだと不審そうに声をあげ、ロビンは相変わらず動じている様子がない。
なんなんだ、この展開は。
しかも何故かウソップとチョッパーまで乗り気だ。
救いを求めるように涙目でサンジを見れば困ったように彼は頬を掻き、テーブルの脇に立っていた少年が疲れたように肩を落としていた。
* * *
「さて」
そのころ、リードは冷たい汗が背中を伝うのを感じていた。
君に選択肢をあげよう、とは診療室の寝台に腰掛けて言う。
無責任な父親はすでに煙草が切れたと称して逃亡を図っており、援軍は期待できそうもなかった。
不覚にも泣きそうになった彼に、にっこりとは笑いかける。
「君の昔の悪行プラス恥ずかしい所業をリリィにばらされるのと、今すぐここで叩きのめされるのと、今から約一ヶ月隊長職を兼任して多忙だけどリリィに軽蔑されず、五体満足で居られる毎日――さあ、君はどれを選ぶ?」
「ちょ!?」
いくらなんでもその選択肢はありえないだろう。
「明らかに俺には最後の選択肢しか選ばせるつもりねーだろ! …つーか、だって知ってるはずだろう、来週はリリィと買い物に行く約束が! あいつらにあの店の場所を教えたのは悪かったよ、けどどうせいつかは」
「……あくまでこれは疑問なんだけどね」
微笑みをどこまでも絶やさないの背後に、ブリザード再来。
「最近なーんか詰め所の備品が新しくなってたり、微妙に隊員の間で貧富の差が出来てたり。おっかしいよね? オトばあは壊れるまで備品を使い込めって豪語してるから、経費なんかみとめるわけないし、隊員の給料は階級によって違うけど、それほど大差ないはずなのに。なのに、ボーナスも出てないこの時期にプラチナダイヤのネックレスを女の子に貢いだ金持ちが居るんだよ、しかも現金一括払いで買ったらしいし」
すごいね、とは首をかしげる。
だらだらと釜蛙のように冷や汗をかくリードは、ぱくぱくと口を虚しく動かすしか出来ない。
「でもよく考えたらそいつ、先月給料前借りしてたはずなんだけど、不思議だよね?」
「……」
「まー、誰がどんな副業抱えてようと基本的にとやかく言うつもりはないんだけども。…ほんとにないんだけどね、リード」
すっと細まった青灰色の双眸に、思わず彼は身構えた。
「この前提出してもらった書類に混ざってた《賭け金倍率一覧表》っていうの、何なのかな?」
「!!」
「さて、それらを踏まえた上で、もう一度訊こうか?」
再び微笑みを浮かべたは、先ほどまでの殺気が嘘のように優しく問うた。
「精神的苦痛を受けるのと、身体的苦痛を与えられるのと。それから、今まで君がサボってた分こっちに回ってきてたツケをまとめて払うのと」
さあ、どれがいい?
「…働かせて戴きます」
「うん、賢い選択だね。リリィには悪いけど、まあ一生そうしてろとまでは言わないから」
がっくりと肩を落としたリードを、やっと吹雪を納めたが苦笑して見やった。
だが、それもほんの一瞬のことで、は表情を改める。空気が変わった。
「ところで、リード。調べてもらいたいことがあるんだけど、いい?」
その真剣さに気付いた彼も、今までの情けなさが嘘のように鋭い眼差しを返した。
「了解」
* * *
甲羅亭に戻るとすっかり先ほどの騒ぎの痕は片付けられており、いつもより二つか三つテーブルが少ないことを除けばいつもどおりの光景がそこにあった。
その一角を陣取っている今日出会ったばかりの人物たちが、なにやら白熱した議論を交わしていることに気付いて、は首を傾げる。
先ほどは居なかった人物も揃っているから、役場でのことを伝えているのだろうか。
いろいろと言って置かなければいけないこともあったから、はそちらへつかつかと歩み寄った。
必要性も感じなかったので足音も気配も消さなかったのだが、すぐそこまで来ても誰一人こちらに気付かず、一抹の寂しさを感じる。
「や、ただいま。楽しそうだね、何の話?」
がそう声をかけて、ようやく麦藁海賊団の皆様が揃って振り返った。一人一人、視線の意味は違っているが、七対の目に凝視される結果になって、居心地が悪い。
「なに、何かあったの?」
「…あー、先に言っとく」
「レイ?」
通りがかり様にお茶の入ったグラスを渡してきたレイが、わざとらしいくらいまでに顔をあわせないようにしながら言った。
「気を抜くな。敵は強者揃いだぞ」
言うだけ言ってそそくさと去っていく成長期の少年の背中を、なんとなく見送っていると横から声がかかった。
「ねえ、警備隊長さん」
「ん? あー、リーズの阿呆階級までばらしたのか……もうなんかどうでもよくなってきたかも。ってああごめん。ロビン、なに?」
相手がロビンだったから、油断していたのは確かだと後にはそう語る。
そんな後の相手の心情を知ってか知らずか、ロビンはのんびりとこう言った。
「海軍の中隊相手に一人で闘ったって本当なのかしら?」
「うん、まー……」
そこではっと我に帰ったが振り返ったときには既に遅かった。
「うぉー、やっぱりマジなんだ! やるじゃん!!」
「詳しく聞かせてくれ!」
「やっぱすげー、流石だな!!」
…この三人は要注意だ。
説明を求めて視線を巡らす。
「う。、ごめん。ルフィ止めようと思ったんだけど、つい口が滑っちゃって…。オトお婆さんは詳しいこと教えてくれなかったから、私たちに対する牽制なんじゃないかって一応フォローしたんだけど」
その表情から、たぶん約八割の事情が読み込めた気がするのは気のせいなのだろうか。
たぶんナミの言ったことは真実だろう。
海賊でもないのに海軍と闘うようなことになった挙句、一人で撃退してしまったの得体の知れなさこそを、ナミは強調したかったに違いない。
それはきっと素性の良くわからない人間に対する彼女の本音だろうし、こちらに掛かる迷惑を慮っての彼女の心遣いでもあるだろうとも思う。
相手が彼らであったことが、何より不運だったのだ。
「あー、も、いいよ。…オトばあはどこまで話したの、それ」
「大したことは聞いていないわよ。貴方が並みの海軍よりもはるかに強いってこと以外わね」
もしかしたらあの三人より、楽しそうに妖艶な笑みを浮かべる黒髪の女性こそが要注意人物であるのかもしれない。
先ほどのレイとの遣り取りを思い起こして頭痛を覚えた。
ああ、確かにいろんな意味で兵揃いだね、このひとたちは。
期待に満ちた視線がとても痛い。
「…わかった、じゃあこうしよう」
仕方なさそうに頷いたは、渋い顔で一団を見回した。
「とりあえず、もうとっくに三時過ぎだけど昼ごはん食べてから、…そうだね、明日の日没までにしようか。まるまる一日、僕は全力で君たちから逃げる。もしも指一本でも僕に触れられたら一人につき一つだけ、質問に答えてあげるよ」
ただし、二人がかりで捕まえるのなら質問は一つ。三人でも四人でもそれは同じ。
「僕は島から一歩も出ない。島の人間にも、僕の肩は持たないように言って置くから、困ったら彼らに聞けばいい」
「…でも、」
自分の仲間が体力馬鹿であることを思い出したのだろう。心配そうにトナカイがを見上げてくる。
「大丈夫だよ、チョッパー。ご飯どきは一時休戦にするし、とりあえず灯台の小屋は中立地帯にしよう。ご飯を食べに、僕もあそこに行くから君たちもあそこは好きにしていいよ」
まあ、
「たかだか、一億ぽっちの賞金首に僕は捕まえられないだろうしね?」
「言うじゃねーか、小僧」
「まーまー。ゾロ落ち着け。。じゃあさ、もう一つ条件つけねーか?」
「いいよ、何」
「俺らの誰かがを倒せたら、お前は俺らといっしょに来る。どーだ?」
にしし、と笑いながら言う船長には軽く目を見張る。だが、それも一瞬のこと。
「出来たら、ね。でも人魚姫はいいの?」
「それはそれ、これはこれだ」
「…僕も彼女もそれほど安くないんだけど。まあいいか、その代わり僕が逃げ切ったら、僕も彼女も諦めてもらうからね?」
じゃ、とりあえず日が暮れたらゲーム開始。
言ってはにんまりと笑い、それからレイに向かって自分のオーダーを頼んだ。
* * *
「マスタ、代金は給料から引いといて」
自分の膳を運んできた小柄な警備隊長に、皿洗いの手を止めて彼は首肯した。
「…わかった。あまり無茶はしてやるなよ」
「はは、でもちょっと無茶しないと逃げ切れるか微妙なんだよね」
「ほう。お前がそう言うなら、よっぽどなんだろう」
確かに厄介そうな、それでいて憎めない連中だとは思っていたが、仕事の間に横目で見ただけだから、実力のほどはよく分かっていなかった。
「うん、いろんな意味でね」
こんなに楽しそうに頷く息子の養い子を見るのは、八年ぶりのことだ。だから、彼も珍しく相好を崩して悪戯っぽく片眉を跳ね上げた。
「なら、に言っといてくれ」
「うん?」
「『お前を勧誘しに来た海賊団は警備隊長にご執心みたいだから、ちょっとくらい出勤してもばれやしないぞ』ってな」
「えー。この店『』をこき使い過ぎなんだから、ちょっとくらい休ませてあげれば?」
「だから、ちょっとだけだ。どうせ一日歌わず弾かずだったら中毒症状出るに決まってるんだから、飯代遣い稼ぎがてらにでも一曲歌っていけば、客も俺も嬉しくて一石二鳥だろ」
「…まー、余裕があれば伝えとくよ」
* * *
ごちそうさま。
膳を片付け、レイとリリィにそう声を掛けたは、少し楽しそうにルールを復唱した。
「じゃ、次みんなで顔を合わすのは明日の朝ね」
その言葉がゲーム開始の合図になった。
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