2.樽詰めのトナカイ。 『みんな、どこだぁ〜』






「うわ。最悪」

 その光景を遠目に、それぞれの意味で(一人は呆れ、一人は憧れ。個人的にはどちらも、間違った反応のような気がするが)絶句している傍らの青年二人をよそに、は今日何度目か毒づいた。同時に、舟のヘリを蹴った軽い音が響く。

「おいっお前!?」

 雨ガッパを脱ぎ捨てて露になったのは、白いTシャツと七分丈のデニムのオーバーオール。
 被っていた頭全体を包み込むような大き目の野球帽を深く被りなおしつつ、後ろを振り返る。

「先に行ってる。君らも、気をつけながらおいで。こっちにも何匹か向かって来てる」

 ひょいひょいと波間に浮ぶ荷や木片の上を器用に渡りながらのの言葉に応えるようにして、ゾロたちの乗った舟の前、行く手を阻むように水面が持ち上がった。

「ちっ…めんどくせぇ」
「なー、なー。こいつら食ったらうめぇかな?」

 いつ何時でも呑気なルフィの言葉が通じたのだろうか、深海魚もどきの群れは彼らの乗った小舟に襲い掛かった。






「〜〜〜っ!!」

 反射的にアクセルを踏み込もうとしてナミは気付く。
 完全に囲まれた。
 自分たちと先程浮上してきたソイツをぐるりと囲むようにして、大小さまざまな深海魚の海王類たちが頭を出している。
 これは高みの見物、といったところなのだろうか。

「うーそーだーろぉ」

 そうだったらどんなによかったか。
 ウソップの涙声にも、すでに突っ込む気にもなれない。
 凝固してしまったこちらに興味でも持ったのか、ゆるゆると一番近くに居たソイツは顔を近づけてくる。
 けれど、目を持たない彼のその行為に何か意味があるのだろうか。

(ってそんなことはどうでもいいから!)

 サンジとロビンが臨戦態勢に入ったのを気配で感じ、ナミは我に帰る。
 そうだ、こんなところでコイツとにらみ合いをしていても始まらない。どうにか此処を突破しなければ。
 ウソップも同じ結論に至ったのか、ごくりと喉を鳴らす。
 その音に、ゆっくりと顔を近づけてきていたソイツの動きが止まる。
 それは、何かを待っているような静寂。
 気取られないように、音を立てないように服の下に隠した武器に手を伸ばし。


「いーい? そこの人たち。今から絶対動かない、声立てない、騒がない。もし守らなかったら、命の保証は出来ないから、そこのとこよろしく!」


 威勢のいいアルトの声が一方的にそう叫んだのは、ナミが、サンジが、ロビンが、ウソップが今にも事を起こそうと構えたその瞬間。
 何事かと反応する間もあればこそ。

 ザン、と。

 何かを切り飛ばすような音。
 
 トッ、と。
 
 今度は軽く誰かが踏み切って飛んだ音がして。

 バシャン、と。

 そして最後に大きなものが水の上に倒れる音。

 それらが二度三度繰り返される。
 声の方、音の方を振り返れば円の一部が崩れているのが見え、生臭い臭いが風に乗ってくる。
 そう認識している間にも、ひょいひょいと小柄な影は身軽に深海魚の上を飛び渡り、その都度手近なそれらを手の中の刃で薙いで行く。
 ザワ、と運良くその影の進路に居なかった深海魚たちは殺気にも似た気配を立てた。

「「「「っ!?」」」」

 はっと身構えた彼らは、しかしその警戒の無駄を知る。
 次に深海魚たちが取った行動は、飢えた獣のソレ。
 波間に浮ぶ仲間の屍骸めがけ泳ぎ、喰らい付く。
 その一連の様を見て、ロビンやサンジまでもが眉を顰め、ナミも思わず目を背ける。
 正直あまり、見ていて楽しいものではない。

「うげぇ…」

 ウソップに至っては吐き気を催し、口元を押さえる始末。
 その行動の結果、下に視線を落とし彼は気付きたくなかったことに気付いてしまった。
 海面に映る影、自分たちの上に掛かった影が消えていない。
 恐る恐る、振り返り。

「ひぃぃぃぃ!」

 至近距離にあったのっぺりした魚の顔に、思わず悲鳴をあげ、器用に後ろ向きに移動して、ウェイバーの縁に頭をぶつける。鈍い音がして仲間たちも振り返った。

「げ」
「うわ」
「あら」

 思わず洩らした声を合図とするように、パカリと大きな口が開いた。
 恐らくそれは、サンジならギリギリどうにかなった距離。
 ロビンにしても、命の危機とならば海水に疲労した体に鞭打ってでもどうにかできた。
 けれど、二人が事を起こそうとしたその一瞬前に。

 パシャンと波間に浮んだ木切れが沈む音。

 気の弱い婦女子ならば目を塞ぎたくなるような音を立て、遠い昔彼らの祖先にはあったであろう目の辺りに躊躇いなく短剣が衝き刺さる。
 空気を切るように飛来した古風な造りのその短剣に続くようにして、帽子を目深に被った小柄な人影が、魚の頭上に危なげなく着地する。

「全くもう、めんどくさいなぁ…」

 嘆息交じりの言葉とは裏腹に、激痛に暴れ伸び上がった怪物の上から振り落とされることも無く、無造作に自分の獲物を引き抜き、遠慮なく頭蓋に叩き込む。
 怪魚の巨体が痙攣し、やがてふらりと水面に倒れ。
 そのふらりのふの時点で、軽い踏み切る音と共に空高く飛び上がった白いシャツの人影は、水しぶきの中に消えた。






 海面に浮ぶ己が作った屍骸に着地して、ふうと軽く溜息をついたは額に浮いた僅かな汗を、肩の袖でぬぐう。
 重労働、というわけではないが、多少疲れた。
 できればお茶の一杯でも飲みたいところだが、生憎そんな暇はない。
 足元のソレは最小限の攻撃で仕留めたとは言え、その傷から流れ出る紅は間も無く新たな怪魚を呼ぶだろう。
 今この場に集まっていたものらと同種ならまだいいが、しかし…。
 懸念される最悪の事態に、は自分に注がれる疑惑と当惑の視線は敢えて無視することにした。
 一、二、三、四。

「…やっぱり、一人足りないか」

 聞いていた話では彼らは全部で七人。
 先程置いてきた二人はオールを漕いで、こちらに向っているのがすぐそこに見えているから、ここには五人いなくてはならないはずだった。
 それなのにここに居るのは、四人。あと一人、どこか他のところに流されたのか。
 だとしたらかなり厄介な上に、無事かどうかすら分からない。
 忌々しげな口調で洩れた言葉に、金髪の男が眉を顰める。

「お前…?」

 たぶん、その後には『何者だ』といった感じの言葉が続いたのだろうが、結局それより先は聞くことはなかった。

「おぉーい!! みんな無事かぁ!?」

 もうはっきりと表情が読み取れる位置までやってきた、麦わらの青年が笑顔で大声を上げている。

「ルフィ、ゾロ!」
「あのバカ。先に船に戻ってろって言ったでしょうが! ああもう、舟の上でむやみに立ち上がらないのルフィ!! また海に落ちたら、一体誰が回収しに行くと思っているのよ」

 それを聞いてゾロと呼ばれた剣士がげっそりしつつ「どうせ俺だろ」と呟いていたが、言われた当の本人は気にした様子もなく楽しそうに声を上げ笑っている。
 だがこの場で唯一、この状況の深刻さを本当に理解しているは、険しい顔のまま彼に声をかけた。

「ねぇ、麦わら青年。あと一人足りないみたいなんだけど、それってどんな人?」

 ひょいと跳んで自分と同じものに着地した青年・ルフィは、麦藁帽を被りなおしつつ自分の船員たちを振り返る。

「あれ、ほんとだな。チョッパーがいねぇ。ナミ、チョッパーは?」
「…それが、どうも一人だけ違うところに流されたみたいなのよ」
「は? それってやばいだろ」

 あいつも金槌なんだから。
 ウェイバーの傍に舟を寄せ、ゾロが言うと黒髪の女性が答えた。

「それは大丈夫。長鼻くんが、船医さんを樽に放り込んでくれたんですって」
「…じゃあつまり何か? その辺にトナカイ詰の樽が浮んでるわけか?」

 ゾロの表現の仕方はともかく、状況は何となく理解できた。しかし一つの単語が、にはいまいち引っかかる。

「ね、トナカイって?」

 赤いチョッキを引っ張って尋ねると、誇らしげな笑顔。

「チョッパーはさ、ヒトヒトの実を喰ったトナカイなんだ」
「ヒトヒトの実…ああ、悪魔の実ね。そっか、だから金槌」
「そ。あとおれとロビンもだ」
「七人中三人が能力者? それは戦力としては中々だけど、裏を返せば七人中三人が金槌ってことになるんじゃ?」

 それって海賊としてどうなんだろうとは思う。
 思うが、それは今突っ込むことではない。
 今から自分がすべきことはもう分かった。彼らに尋ねるべきことはもうない。
 ならば、彼らには一足先に岸へ向ってもらうことにしよう。






「おい、マリモ」
「……何だ、エロコック」
 舟の上と水中と。
 いつものように睨み合いになりかけて、サンジは危ういところで踏みとどまった。
「何なんだ、あいつは」
 只者ではないのは、あの怪魚を倒したときの一連の動きを見れば一目瞭然だ。しかし、どういった目的があって自分たちを助けたのか。それがいまいち分からない。
 自分たちが海賊旗を掲げている限り、ただ単に好意だと受け取るほどおめでたくはあれない。自分たちの船長が船長であるだけに、特に。
 不機嫌な顔で訊くと、それに輪に掛けて不機嫌な声での返答。
「さーな。俺が知るかよ」
「…てめ。よく知りもしない奴をナミさんとロビンちゃんが居るところに、連れてきやがったのか!?」
「襟首掴むな、くそ眉毛。連れてきてなんかいねぇ、あのガキが勝手にきやがったんだ」
「……」
「それに連れてきたと言うより、むしろ俺らがあいつの後についてきたんだ。てめーだって、見てただろうが」
 言われてサンジは沈黙する。確かにそれはそうだ。
 だとすればやはり、これは善意だと考えるべきなのだろうか。
 しかし、それにしてはその善意の助っ人はどこかしら不機嫌そうだったのだが。
 振り返り、けれど何故か神妙な顔をしている船長と件の人物に、彼は更に首を傾げた。






「やだ」

 子供のような言い方に、やっぱりなとウソップは思った。
 ルフィならそう言うだろう。自分でさえその提案には頷けないのだから。
 サンジとゾロは何やら自分たちだけで会話しておりこちらの話を聞いていないが、しっかり聞いているナミとロビンは何も言わないことで肯定を示している。

「やだって…子供じゃあるまいし、ほっぺた膨らますのはやめようよ。――トナカイくんはちゃんと探すって言ってるのに、そんなに信用できない?」
「おまえが信用できないとかそんなんじゃない」

 飄々と掴み所のない青年は、珍しく真剣な眼差し。

「チョッパーはおれたちの仲間だ。だから、その仲間を放って先に行くわけにはいかねー」
「…そういうのは嫌いじゃないけど、逆に好ましいくらいなんだけど…参ったな。今の状況かなりやばいんだって説明しても駄目?」 
「…やばいって何のこと?」

 良く分からない素性に警戒しているのかナミが低い声で訊く。

「うん。それが。もうそろそろラストだとは思うんだけど、もう一嵐来そうだし」

 一度空に向けた人差し指を、次に自分の足元の死体に向けて。

「で、こっちも出血は出来る限り抑えたから今まで大丈夫だったけど、そろそろ他の奴がコレ目当てで来るだろうし」

 それでもって、一番厄介なのが。

「囮にするためとは言っても、さっきかなり血が流れたから。そろそろ、稚魚じゃなくて親の方が来る」
「………は?」
「………稚魚?」
「??? ちぎょってうめーのか?」

 三者三様の反応を横目で見つつ、とりあえず内二人の心を察してロビンが問う。

「親が来る、ということだけれど。やっぱり」
「個体差はあるけど、コレの倍くらいかな、平均の大きさは」

 質問の先を待つことなく、さらりと答えたその内容にウソップは頭から血が引いていく音を己の耳で聞いた。
ナミにしても彼と似たり寄ったりな表情を浮かべており、ロビンも少し眉を顰めた。
 一人だけどういう神経をしているのか、瞳を輝かせている人物がいるにはいるが、この場合彼の思考回路を分析するのは無駄以外の何物でもないので気付かなかったことにするのが妥当な判断だろうとは思った。
 だから、そんな彼らにお構いなしで、解説は続く。

「で。まあ…、今でさえ姿形が珍妙な上に成長すると更にこれがまた珍妙でね。ごっつい牙が生えるのもいるし、角が生えるのもいるしいろいろで、元は全部コレだったはずなのに一見して同じ生き物に見えないし」

 本当に嫌そうに顔を顰め、最後に止めの一言。

「共通点らしい共通点って言えば、本能レベルで嫌になるほど凶暴ってことくらい」

 見計らったかのようなタイミングで。その語尾に重なるようにして、それほど遠くはないが決して近くもない距離から、聞いているこちらの方が情けなるようなくらいに情けない、そんな悲鳴が聞こえてきた。


「ルフィー! ゾロぉ! サンジぃ! ロビン、ナミ、ウソップぅ!!」


 もう誰でもいいから、と涙ながらに声は叫ぶ。

「誰かたすけてぇ!!」


「チョッパー!!?」


 見れば海面に浮ぶひょっこりとトナカイが顔を出した樽を、巨大な、先程の怪魚を巨大と表現したのが恥ずかしくなるくらいに巨大な、嘴のように鋭く尖った口先を持った深海魚がその嘴で樽をつついて遊んでいる。
 今行くから、待ってろ!
 そう言って腕を伸ばそうとしたルフィの襟首を、がしりと誰かが掴む。

「な」
「ああもう、だから先に行けっていったのに、この馬鹿!!」

 ぐいと引き寄せられたかと思うと、その小柄な体躯に似合わぬ力で今度は勢いをつけてゾロの乗る小舟の方へ放り投げられる。
 誰が馬鹿だ、と反論しようとした彼の目前で、今まで足場としていた稚魚の腹に捻れた一角獣の角のようなものが生えた。

「君らは速く入り江の灯台に! あの子はこっちで回収するから!」

 ルフィを投げた犯人は言うだけ言った後、大きく舌打ちしながら、巨大な稚魚の体が水面からそれによって持ち上げられるその刹那に勢い良く跳び上がる。
 着地したのは次から次へと集まってくる馬鹿馬鹿しいくらいに大きな深海魚の頭の一つ。

「おれも行く」

 ゾロに回収され、無事小舟に上に乗った船長は、すっくと立ち上がり言う。
 ウェイバーと自分をロープで結び終えたウソップも。ナミもロビンもその横顔を見詰め。サンジはその舟に自身の体を引き揚げながら、その背を見上げる。
 その背の向う、不機嫌すぎるくらい不機嫌だった面持ちの白シャツは仁王立ちのルフィを睨み、そして。この状況にもかかわらず、初めて表情を緩めてみせた。

 それはそれは綺麗な、とても優しい微笑み。

「約束するよ、麦わらのルフィ」

 耳に手をやり、外したそれを放って寄越す。
 受け止めたルフィの掌で、蒼い石のピアスが転がった。

「それはこのという名の者の心臓であり、定めであり、魂のくびきであるもの。それにかけて、今ここで貴方たちの仲間を連れて戻ると誓う。だから」
 だから行け、とは言って。

 その姿は怪魚の群れの中に消えた。 




















H18.11.22(書いた日はもっと前ですが、本日アプ)


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