Act.1 『An apple pie made by her』
街外れの、あからさまに妖しげな研究施設らしき屋敷に忍び込んだまでは良かった。
門外の見張りにも見つからず、邸内の研究者どもにも気付かれず。
むしろ、よくやったよ自分、と褒めてやりたいくらいだ。そこまでは。
しかし、目的の『放っておくわけにはいかない』モノたちが一向に見つからない。
というか、
(……いない?)
懸念は当たっていたようで、聞き耳を立てているうちに、この館の最高責任者が全て引き連れていったのだと分かった。
(うっわ、これってもしかしなくても骨折り損ってやつ?)
少しでもリスクを減らそうと、見張りの位置を全て確認してその上で慎重に慎重を重ねて侵入路を決定し、配水管から通気孔からを這いずり回った結果がコレとは。
何か恨みでもあるのか、運命の女神さまとやら。
密かに心中で神を罵倒しながら、同時に彼女は策を巡らせる。
この場合、どう行動するのが一番効率的なのか。
そもそも自分が一人旅なんぞしている理由を思うとこんなことにあまり時間をかけるわけにはいかないのだ。
――まず、片付けなければいけない問題は。
あの筋金入りの気難しさで知られている獣たちを、どうやって手中に収めているのかも気になるが、それよりも。
たまたま忍び込んだ一室、先程気絶させた研究員が座っていた机の上の機械の箱が表示していた記号の羅列の意味を思うと、はっきり言って眩暈がする。
実際に目にするのは初めてだが、存在くらいは噂に聞いたことがある。
(やっぱりこんなデータを残すわけにはいかないし)
生態だの、能力だのは別にいいとしても、ある意味では生物兵器とも呼べる獣たちの設計図であるその記号たちを放置すれば、わざわざ寄り道をした意味がない。
例え、あの獣たちを解放できたとしても、自体は更に悪化するだけだ。
幸いなことに、この記号が完全に解読できたのは彼女が研究員の首筋に手刀を入れた瞬間のことで、バックアップもなければ、この記号の羅列を記憶しているものも居ない。
要はこの目の前の箱さえどうにかしてしまえばいいわけだ。
そして都合のいいことに、それは自分にとって、呼吸するよりも簡単なことだ。
それ自体は喜んで良いものか、大変に悩めることではあるのだが。
しかし、この際自分の複雑な心境は横に置いて、彼女はとりあえず行動に移る。
手に嵌めた皮の手袋を外し、ひたりと液晶画面に手を這わず。
待つこと五秒。
ボン!
何故か、小さな爆発音。
(毎度、思うけど)
ビーという、あからさまな警戒音が鳴り響く中で、冷静に机の上の書類の束を適当にかき集めながら思う。
ほんの少しだけ彼女はその瞳に傷ついたような光を浮かべた。
(機械が相手とは言え、こうまで嫌われると傷つくなぁ)
とんとんと書類の束を軽く揃え、机の上、灰皿の横にあったライターを片手に机によじ登る。
研究成果が書かれた紙の端に何のためらいも無く火をつけ、天井の出っ張りに近づける。たしかスプリンクラーとかいっただろうか。
「うーん。これぞ水も滴る…ってね」
机の上から飛び降りて、屋内に振り出した雨を受けながら軽口を叩いた彼女は、しかしふと小首を傾げた。
別に気配がしたとかそういうわけではなく、ただ自然に。
振り向かなければいけないような気がした。そうして振り返ったその先には。
「………雪だるま?」
真っ白で、雪にしてはもさもさの小さ目の雪だるまがくぅんと鳴いていた。
* * *
「で、どうするよ?」
はらはらと舞い落ちてきた雪を面倒臭そうに肩から払って、悟浄は誰にともなく問う。
もちろんその『誰』には、腹減ったーなどとほざいてしゃがみ込んでいる猿は入っていない。
ついでに言うならば、忌々しそうに煙草をくわえている生臭坊主にも、返事は期待していなかった。
「どうすると言われましてもね。この雪じゃ、このまま進むわけにも行きませんし…全くこの方たちには参りますねぇ、もう少しこちらの都合と言うものを考えて出てきてくださればいいのに」
足元に無造作に折り重なっている『この方たち』を、八戎の言葉に全くな、と思いながら見下ろす。
が、見つめても大して気持ちの良い物でもないので、さっさとジープへ向かうことにした。
これが美女の寝顔であるなら、喜んで見詰めているところなのだが。
それにしてもまぁ、毎度毎度よくこれだけ人数を揃えるものだ。
感心半分、呆れ半分にそう思う。
いい加減質より量という方策をどうにかしてもらい所だが、今回ばかりはあちらさんの作戦が功を奏したといってもいいのかもしれない。
このアクシデントさえなければ、自分たち一行はギリギリとは言え、無事日が落ちる前には山を越えられたはずだったのだから。
しかし現状を思えば、この有様。
ぶ厚い雲がなければ、今ごろはオレンジ色の陽光が辺りを照らしていたことだろう。
それというのも何やら嫌がらせのように十分おきに現れた、妖怪どものおかげであって。
しかも、もしかしたらここからもう少し車を走らせれば、またそこに待ち構えているのかもしれなかった。
「三蔵、仕方ありません。さっきの街に戻りましょう。幸か不幸か、大して進めませんでしたから。このままここで野宿するにしても明日出直すにしても、そう距離は変わりませんし」
運転席に腰を下ろし八戎が助手席の最高僧に提案する。
まあ、妥当な案ではあるだろう。この雪の中で野宿するのは、どう考えても無謀だ。
辺りに人里かもしくは、山小屋でもあるならば別だが、今朝宿屋の女将から聞いた話では、この辺りは全く人は住んでいないらしい。
となるとこの場での一泊は、凍死と同意義と考えて間違いない。
「…ちっ、とんだ無駄足だったな」
舌打ち交じりの呟きは、彼なりの肯定。
それを受け取って、ジープはもと来た道を戻り始める。
「同感」
「全くですね」
悟浄が紫煙を吐きながら、八戎がいつもの微笑を浮かべながら同意を示す。
悟空だけが、戻ると聞いて嬉しそうに顔を輝かせた。
「今朝の街まで戻んの?」
「何。嬉しそうね、小猿ちゃん。ってお前、それ」
「…まだ持ってったのか」
「珍しいですね。悟空のことだから、全部食べたのかと思ってました」
呆れ顔の面々の視線も何のその、悟空はいたってマイペースに甘酸っぱいそれを口に運ぶ。
焼き立てだった最初ほどではないにせよ、やはりおいしいものはおいしい。
「らって、ほったひへぇひゃん」
「…食いながら喋るな」
三蔵のお言葉に素直に従って、悟空は慌てて口の中のものを飲み込む。
「だって、これめっちゃうめぇもん。一気に食っちまったら勿体ねぇじゃん」
とは言っても、すでにもう半分は食べてしまい、残っているのは今手にあるのを除けばあと三切れ。
だがそれでもあの悟空が食べ物をとっておいたという現実は、残る面々には衝撃的な事実だったりした。
だからまぁ、その件のアップルパイが注目の的になったのは自然な成り行きであろう。
悟空はまだそのことに気付いていないが。
「なぁ、三蔵! 俺宿に着いたら、ちょっと出掛けてくるな! あいつにもっぺんお礼言って今度は作り方も聞いてくるから、八戎また作ってくれよ」
「それはいいですけど…作り方を聞いただけで、僕にこれだけの味が出せますかどうか、ちょっと自信ありませんねぇ」
片手にハンドル、片手にパイを掲げて八戎。
「え?」
戸惑う悟空に止めを刺すように、
「お、マジうめぇ」
「……フン。まぁまぁだな」
口調とは裏腹に、手放さないところを見るとなかなか口にあったらしい。
「素直じゃねぇな、三蔵さま。うまかったらうまかったで、そう言やあいいじゃん」
悟浄が自分の手持ちを食べきって、そう呟く。
さてさて、問題です。
箱の中に残っていたのは、三切れのパイ。
そして今、八戎・三蔵・悟浄がそれぞれ一切れずつ食べました。
さあ、箱の中は?
「っ!!」
当然、空っぽです。
「ひでぇ、散々みんな毒だのなんだの言ってたくせにぃ!」
悟空の叫びが木霊したのは、彼が箱の中を見下ろしてからきっかり五秒後。
この時ばかりは、悟空の言い分が最もだった。
* * *
無事、厄介ごとの半分を片付けて。
面倒事ついでに、屋敷から慰謝料代わりに金目のものを拝借したので、次の町辺りで換金すれば当面の生活費の工面に苦労する必要はなさそうである。
さ、あとは諸悪の根源を叩きのめすだけ。
そう喜び勇んで街中に戻った彼女はこれまた拝借した肩掛け鞄を右肩に引っ掛けて、屋根伝いに夕闇に染まる街を駆け抜ける。
雪雲は彼女が屋敷の通気孔と格闘している間に彼方の山まで退散していたようで、雪自体はほとんど残っていないからそれは大して難しいことではなかった。
けれど、湿った衣服とこの腹すき状態は彼女としても頂けない。
それに慣れない隠密作業などしたものだから、結構疲労もたまっている。
まぁ、この街に滞在した短期間を思い返すと疲労の理由はそれだけではないと思うのだが。
つらつらとそう考え、とりあえず今晩はどこかに身を潜めて、ゆっくりするかと彼女がそう思った矢先。
感覚のレベルを臨戦モードから通常のそれに切り替えて、足元の街道に目を落とした、その瞬間に。
――ねぇ。私、本当に貴女に何かしましたか、運命の女神様?
そう彼女は思った。
いろいろ思うところはあるし、突っ込みたいのは山々だが。どうしてこうも次々に問題が出てくるのだろう。
しかも、よりにもよって何故に彼が今この場所に。
あぁ。しかも、しかも。
彼の傍らに居る連れの一人の少年は、今朝の少年ではないか。
ということは、今朝のあの時点でニアミスをしていたというのだろうか。
もしあのまま興味本位に少年に引っ付いて行っていたらと思うと、今更ながらに背筋が凍る。
けれど。今現在、何より致命的なのは。
捜し求めてはいたが決して会いたくはなかった諸悪の根源が、どうして彼らに相対しているというのだろう。
何故こんなに接近していながら気付けなかったのだ、自分。
心底落ち込みながら、それでも彼女は、今日はもうゆっくり休むという選択肢を諦めなかった。
先人の名言には『逃げるが勝ち』という、何とも素晴らしい言葉があるじゃないか。
何も己から、これ以上の不幸の海に飛び込む必要はない。
そう自分に言い聞かせた彼女は、けれど『泣き面に蜂』という名言の存在を失念してしまっている。
ただただ目の前の不幸から逃れたい一身で屋根の縁から身を翻した少女の背中で、唐突に鞄がごそごそと暴れた。
「え。……嘘ぉ」
いやぁ〜〜、という、か細い悲鳴が遠のいていくのを、たまたま彼女と同じ三重の屋根の上で羽を休めていた烏が聞いていた。
三蔵はとても不機嫌だった。
いつも大抵機嫌が良いとは言えないが、それでもこのときの機嫌の悪さは格別だったと仲間たちは断言する。
何せ、雪で退却する羽目に陥った上、この街に到着した際の門番である衛兵たちの態度が悪すぎた。
ただでさえ、いつもよりハイペースに団体様のお相手をしたものだから、何が起きても彼の怒りに直結しかねない状況だったというのにである。
昨日の晩街に入った際も、今朝街を出るときもなんらリアクションはなかったのに、先ほど門を潜ろうとした三蔵を目にしたとたん彼らは呼び止められた。
曰く、名を名乗れ。
どうやら三蔵三蔵と持ち上げられるのを嫌っての厚着が、災いしたらしい。
取り囲まれた三蔵様はそれはもう、丁寧な対応で兵隊どもに礼儀を教え込んでいたが。
その効果と、彼が三蔵というある意味フリーパスな役職であることが露見したために(もちろん他言しないように言い含めたが)、その場は無難に収まった。
むしろ、死人が出なかったのが不思議ではある。
そうして街に入ったはいいが、今度は宿が見つからない。
明らかに空室があると思われるのに、宿の主人は満室だと言い張るのだ。
それが立て続けに、三軒。そして、極め付けがコレだ。
「なんだ、貴様。口も利けんのか」
「…」
「おい、零夜様が名をお聞きになっているんだ答えろ!」
「……」
三蔵の正面には、強面の男が二人。
リーダー格の男(恐らく件の零夜様とやらだろう)がその後ろで偉そうにふんぞり返っていた。
その足元には彼のペットであろうか、真っ黒な毛並の大型犬が大人しく鎮座している。
首を動かした拍子に首もとの鎖とその先の灰色の変わった形の石が揺れる。その顔つきといい尻尾や身体つきからして、狼の血を引いているのかもしれなかった。
無言の三蔵(外套着用済み。ただし、フードはなし)の背後で、ひぃと悟浄、悟空の二人が口の中で悲鳴をあげる。
この状態の三蔵に何と言う口を利くのだこいつらは。
『あー、僕らはもう少し下がってましょうか』
八戎の適切な誘導にしたがって、三人は五メートルほど三蔵から離れた。
『なぁ、どう思うこいつら』
悟浄が小声で仲間に問う。
『どう、とは』
『さっきの門衛といい、宿屋の人間といい、どうも三蔵の顔を見てから様子がおかしくなったろ』
『ええ』
『だよな』
仲間の小声での賛同に気を良くした悟浄は更に続ける。
『でもって、こいつらもその口だ。これはどういうことだと思う?』
『別に、三蔵と面識があるわけでもなさそうですしね…どちらかと言えば、三蔵の特徴が指名手配犯か何かの特徴に酷似しているのかも――』
「まぁ、待ちなさい。洪に浪。そんなに威しては、そちらの彼も怖がってしまっているではないですか」
言いかけた八戎の語尾に重なるようにして、零夜がえらそうにのたまった。
思わず吹き出す傍観者、三名。
どうでもいいが、その成金趣味を絵に書いたような金ぴかの格好は如何な物か。
己だけならともかく、立派な痩躯の黒犬の首元に光る紅水晶をあしらった金色の首輪は大変頂けない。
悪趣味もここまで来れば、いっそ清々しいような気がしないでもなかった。
零夜の言うところの【怖がってしまっている彼】の額にでかでかと青筋が浮んでいるのだが、幸か不幸か成金青年は全く気付かずに言葉を続ける。
「僕の部下が無礼を働いて申し訳ない。ただ、貴方の髪と瞳の色が僕の愛しい方の想い人と同じでして。僕としては確認したかっただけなのですよ」
三蔵の金髪と紫闇の瞳を見つめにっこりと笑うが、本当に笑っていないのは明白だった。
「貴方のためにも僕のためにもそうでないことを祈りますが…」
そう言って彼は小首を傾げる。
一つ一つの動作が気障ったらしく、厭らしい。そんな印象を彼は与える。
「貴方の名は『江流』ではありませんよね?」
何故その名がこの見ず知らずの青年の口から出るのだと、従者の三人は息をのみ。
当の問われた本人は、訝しげに眉を潜めた。
「…ああ、違う」
少なくとも今の彼の名は『玄奘三蔵』。それ以外では在り得ない。
けれど。
「だが貴様、その名を何処で――」
―― いやぁ〜!!
言い掛けた三蔵は、しかし気の抜けるような悲鳴を耳にして言葉を止める。
いつの間にか頭上に影。
声の主を探して上を振り仰けば、
「お願いっ、どいて!」
「!」
声に従う時間も
「げ」
「あ」
「三蔵!」
駆け寄る間もない。
ごつん、と。おかしな音の後。
土煙が収まったその後に在ったのは、仰向けに倒れた金髪の美丈夫と、それから。
フードつきの真っ黒な外套をすっぽり羽織った小柄な人影が、三蔵の上で伸びていた。
【あとがき】 H18.11.22(書いた日はもっと前ですが、本日アプ
今更気付きましたが、この回名前変換の意味がないんじゃあ…?
すいませんすいませんすいません、次はちゃんと名乗ります。
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