己で切り開いていくもの。
 それこそが運命。
 あの時私はそう信じていたし、今もそれは変わらない。
 だけど。
 ひと一人の力ではどうにもならない運命も存在するのだと。
 今は身を持って知っている。
 それだけが、今の自分とあの時の自分との大きな違い。



 第0章 『タロットカードの警告』


 
「はぁ、さすがに六冊一気に読むとちょっと疲れたかも」

 少女――は台詞とは裏腹に、満足げな表情で本の表紙を閉じた。
 本をそのまま胸に抱いた腕の隙間からは、ハリーポッターという横文字が覗いている。
 暫らく宙を眺め、このベストセラーを読み終えた余韻を味わうと、彼女は名残惜しげに本棚に本を戻した。
 棚にはシリーズ六作分が揃っており、その下の棚には原書版より一話分だけ少ないが、日本語翻訳版も並んでいる。
 その背表紙を指先でなぞりながら、彼女は楽しそうに鼻歌を歌う。
 これほど自分が帰国子女であることを嬉しく思ったことは無い。
 そうでなければ、日本の中学一年生がたった一日で原書版六巻を読破するなどそう簡単にできることではなかっただろう。

「お父さんには感謝だわ」

 あちこちの国に引っ張りまわされるのには辟易させられたが、日本に腰を落着けた今、英語に不自由しないというのは結構多方面に有利なのだ。
 ふふ、と笑っては父の書斎を後にした。
 本に集中しすぎていたのか、もう窓の外の日は落ちかけている。
 いくら夏休みだと言ってもこれは羽目を外しすぎたかもしれない。
 多分、あと数十分もしないうちに、友だちと買い物に出かけた母も戻ってくることだろう。
 そんなことを思いながら自室に戻ると、机の上のあるものに目がとまる。
 そう言えば、昨晩父から誕生日プレゼントだと渡された本のほかに、母からも前々から欲しがっていたタロットカードをもらい、占いの仕方を調べようと本まで買ってきていたのだ。
 が、ハリーポッターの最新刊に夢中になって今の今まですっかり失念していた。
 母に悪いことをしたなと苦笑しながら、は机に歩み寄る。
 本を買ってみたのはいいものの、軽く目を通しただけなのでまだ占い方は分からなかった。
 だが、物の試しだと手を伸ばしカードの封を切り、一番上のカードを裏返してみる。
 とたん、彼女は判断に困ったような顔になった。
 『塔』のカード。
 変革を表すそのカードはこの場合、どう解釈するべきか。

「また引越しとか言い出すんじゃないでしょうね…」

 思わず呟いた彼女の耳に呼鈴の音が届いた。
 カードの束を引っ掴みスカートのポケットに押し込むと、今度は本を持って部屋を出た。

「はーい、はい。ちょっと待ってね」

 客はどうもせっかちらしく、忙しなく呼鈴が鳴っている。

「はーい、どちらさま?」
『遅い!』

 リビングのインターフォンの受話器を取って尋ねると、間髪いれずに怒ったような少女の声。
 実際、受話器の横の画面には怒ったような顔の見知った少女の顔が映っている。

「あれ、沙奈? どうかしたの、そんなに慌てて」

 渡瀬沙奈。
 彼女の親友である少女は、こちらの疑問などおかまいなしに怒鳴った。

『母さんが…って、話は後! 早くそこから出て』
「美咲さんが? …そこって、どこ」
『そこって言ったらそこでしょ! 家よ、家。いいから出てきなさい』

 常に沈着な彼女にしては珍しく、随分と切羽詰った様子。
 それに首を傾げながら、はしぶしぶ頷いた。

「わかった、今行くよ。…あ、そうだ。昨日、母さんにタロットカードもらったの。美咲さんのみたいに骨董価値があるわけじゃないけどなかなか」
『いいから、は・や・く』
「はいはい、じゃそこで待っててね」

 がちゃんと受話器を落とし、はぶつぶつと言いながらそれでも、親友の言葉に従った。
 沙奈は言葉こそきついが、大抵間違ったことは言わない。彼女が家を出ろと言うのなら、それは確かに意味があるのだろう。
 リビングから玄関に連なる扉を開け、一歩。

「にしても、どうしたんだろ」

 二歩、三歩。

「美咲さんが何とかって言ってたけど」

 四歩、五歩、六歩。

「…あ、そうだ。せっかくだしタロットの使い方、教えてもらいに行こうかな」

 自分の言葉にうんうんと頷きながら、玄関までの最後の一歩を踏み出そうとした瞬間。

! 何をしてるの、はやく…――動いちゃダメ!」

 扉が開き――そう言えば鍵を掛けるのを忘れていた――、親友が焦ったような声で何か言いかけて、一転恐怖に歪んだ顔で叫んだ。
 彼女の視線を追って、自分の足元、正確には今にも下ろそうとした右足の下を見下ろして。

(何、これ)

 真っ暗な楕円の闇がぽっかりと。
 落とし穴、という表現が一番しっくりくるかもしれない。
 もし落ちたら、きっと這い上がるのは不可能だと、本能で理解して、けれどもう。

(言うのが遅いよ、沙奈)

 すでに全体重をそちらに移す準備をしていたこの状況で、無理矢理足を止めようと試みるがそれでも。気付いてしまった。
 何をどうしても――、間に合わない。
 だってこの穴は、みるみる内にその大きさを増していて。
 すでに地に付いた左足のすぐそこまで勢力を拡大しているのだ。
 ぐらりとバランスを崩した彼女が最後に見たのは、自分に向って必死で手を伸ばしてくる親友の今にも泣き出しそうな、それでも綺麗な顔。
 反射的に自分からも手を伸ばし、空を掴みながらもは思った。

(……まだ、死にたくないんだけどな)

 その思考を最後に、彼女の意識は暗転した。





















H18.11.22(書いた日はもっと前ですが、本日アプ)


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